90年代初め頃 ビルの計装の御仕事㊼
計装屋です
ビルの計装工事の専門です
九州の大学を卒業して東京の企業に就職しました
90年代の初頭です
バブルはすでに崩壊してました
バブルの時の計装の仕事は大変忙しく
職人さんに聞いた話では1日に2件・3件の現場を
駆けずり回っていた朝から晩まで働いていた
でも給料が良かったそうです
その2つくらい歳上の職人さんはポルシェを買ったと言ってました
ただ乗る暇がないんだとか
自分にとってバブルは九州 福岡の田舎町の大学に通っていたころで
特に何の恩恵もありませんでした
時給500円のたこ焼き屋でずっとバイトしてました
高校までは広島にいて部活はサッカー部でした
キャプテン翼の世代です
大学では空手部に入部して四回生の時は(当時は4年生と言ってなかった)
主将でした、部は道場に加盟しており3段まで取得できました
当時流行っていた中型2輪車の免許を取得しヤマハのRZ250RRを
購入し乗りまわしてました
博多港からフェリーで沖縄に行きました
大学の空手部には沖縄出身者が多くいて
中でも同じ電気科の友達のところに
福岡出身の友達と2人で行ったことがあります
フェリーで3泊かかりました、途中台風と遭遇し
あまりの揺れで気分が悪くなりご飯が食べれない時もありました
バイクは特殊手荷物扱いなので安かったと記憶してます
台風に会ったときは2等客席の大部屋で座っていても酔うので
横になるしかなかったなあ
沖縄に着いたのは早朝でまずマクドナルドに行って朝食を食べた
店の中は冷房が効きすぎて寒いぐらいだった
沖縄の友達と合流し海を見ながら移動
昼にはおばぁ手作りのソーキそばをごちそうになった
夜には居酒屋に行ったいろんな種類のサワーがあったが
どれを飲んでも泡盛で割っているようで同じ味がした
翌自は友達の親父さんが務めている米軍の嘉手納基地に入らせてもらった
特に身分証明書とか必要なかったと思う
普通に車で入れた
基地内の土地はアメリカだった映画で見るような
家と家の間が広く道路から玄関までの距離があった
家の周りは道路や駐車場を除いて芝が敷き詰められていた
と思う昔の事なので記憶と映画で見たものがごちゃごちゃになってるかも
家のないただ芝だけが生えている広い土地があった
この下は武器庫になってるんだってって教えてくれた
基地内の食堂でステーキを食べた大きかったけど
固く食べ応えがあった
沖縄の道は砂がかぶっているようでバイクでは滑りやすかった
大型バイクに迷彩のパンツで走っている人がかっこよかった
タイヤがいいのかバイクの性能か慣れか知らないけど
路面の滑りを感じていないようだった
とにかくカッコよかく、トップガンのトム・クルーズを思いだした
沖縄旅行の思い出はそのくらい
首里城とかひめゆりの塔とか有名な観光地には行ってない
季節も夏ごろだったと思う友達が実家にいたし軽装で行けた
大学生だったので9月のはじめかなよく覚えていない
ツーリングで阿蘇山に行ったこともあります
同じ大学のよく知らない人たちといったけど
道に詳しい人がいて
スカイラインの料金所をできるだけパスして
裏道を走ったりして安価で行ってきた
いろんなバイクがありオフロード車もいいなと思った
電気科の仲良しバイク仲間5人で東京まで行ったこともある
東京に初めて行ったのはその時だ
就職してあまりバイクに乗る機会も無くなった
次回をお楽しみに